war_kyu_nihonhei_rikugun

978: もっふるさん 2005/07/22(金) 20:10:37 ID:T8+liFc/
…昔々、第二次世界大戦の頃、Mさんという
インド人の若者がいました。

Mさんは、インド国民軍に参加し、日本軍の
新藤(仮)という軍人の下で訓練を
受けたそうです。

新藤氏は、日本人にしては色が黒く
目鼻立ちが濃かったせいで、日本兵の間で
「インド人に似ているから、お前の
 あだ名はインドさんだ!」
とおもしろがって呼ばれていたそうです。

また、Mさんたちからも、そのあだ名と、
名前の発音がインドの古称である
「シンド」と似ているため、
「シンドさん、シンドさん」
と親しみを込めて呼ばれるように
なったそうです。

新藤氏の訓練は厳しく、Mさんたち
インドの兵士を怒鳴りつけたり
鉄拳制裁を加えたりするのも
日常茶飯事だったそうです。

しかし、訓練が終わると、日本の歌や
インドの歌を一緒に歌ったり、言葉を
教えあったり、時には特別配給された
お菓子を分けてくれたりと、日本人、
インド人を問わず、兵士たちの誰からも
尊敬され、愛される上官だったそうです。

そして、訓練も終わり、インパール作戦への
開始。

その時、Mさんたちは新藤氏の部下(?)
として、作戦に参加することになった
そうです。

激戦の中、新藤氏の部隊は、強力な
イギリス軍の陣地を攻めるため、
本隊から大きく迂回してジャングルの中を
進み、イギリス軍の背後を突くように、
という命令を与えられました。

しかし、攻撃前にイギリス軍に発見され、
ほぼ全滅するほどの被害を受けたそうです。

気づけば、Mさんの周囲で生き残ったのは、
同世代の若いインド兵がわずか5名。

みんな恐怖で逃げ散ったためにかろうじて
生き残った者ばかりだったそうです。

イギリス軍に見つかれば殺される、と怯える
Mさんたちの元に、片腕を失った新藤氏が
合流し
「作戦は失敗した、本隊と合流しよう」
と告げたのだそうです。

ですが、武器も食糧も水もろくになく、
本隊がどこにいるのかもわからず、
しかも敵兵がうようよいる中では、
夜中にしか移動できません。

そんな中でも、重傷の新藤氏は怯える
Mさんたちを励まし、杖代わりの小銃に
すがって山中をさまよったそうです。

979: もっふるさん 2005/07/22(金) 20:11:29 ID:T8+liFc/
数日後、食糧も水も尽き、新藤氏の病状も
悪化し、いよいよもうダメだ、とMさんが
覚悟した時。

最悪なことに10人ほどのイギリス軍の
小部隊が近づいてくるのを発見します。

新藤氏は、Mさんたちにこう告げます。

「私は、この怪我ではまもなくタヒぬ。
 だが、諸君はなんとしても生き延びて、
 インドの独立のために戦いなさい」

うなずくMさんたちを地面に伏せさせ、
その上に土や落ち葉をかぶせた後、
新藤氏は
「ガンバレ!」
と叫ぶと、弾の尽きた小銃だけを手に、
イギリス軍に向かって駆け出します。

しかし、何歩も行かないうちに、イギリス軍の
機関銃に頭を撃たれ、鉄兜をはね飛ばされ、
その場に倒れます。

それでも、新藤氏は跳ね起き、小銃を
構えてイギリス兵に襲いかかり、
銃剣で3人を刺し殺したそうです。

なおも片手で血まみれの銃を振り回す
新藤氏に恐れをなしたイギリス兵は、
武器や荷物を放り出し、悲鳴を上げて
逃げ去っていったそうです。

イギリス人が逃げ去って始めて、
新藤氏はその場にばったりと倒れます

敵兵が去った後、新藤氏に駆け寄った
Mさんたちが見たのは、最初の機関銃の
弾で頭を撃ち抜かれたためか、頭が半分
無くなってしまった新藤氏の変わり果てた
姿でした。

980: もっふるさん 2005/07/22(金) 20:12:45 ID:T8+liFc/
Mさんたちは、新藤氏の遺体を囲んで泣き、
日本人がこんなに勇敢に戦ったのに、
私たちは怯えて見ているだけだった。

情けない。
これからは勇敢に戦い、新藤氏が
願ったように、生き延びてインドの
ために命がけで働こう、と誓ったそうです。

そして、新藤氏の遺品である銃やお守りを
手に、イギリス軍の残していった武器や
食料をみんなで分け合い、その場を
離れます。

新藤氏のタヒから、10日以上も山中を
さまよった後、一行は小さな集落に
たどり着き、その住民に助けてもらって
ようやく日本軍
(当初属していた本隊ではない部隊)
と合流できたのだそうです。

形見のお守りは合流した日本軍の士官に
渡したそうですから、おそらく遺族の元に
戻ったことでしょう。

そうそう、士官が確認のために開けた時、
中には小さな木の板と、折りたたんだ写真…

新藤氏が奥さんの隣で、小さな女の子を
抱いて微笑んでいる写真…
が入っていたそうです。

小さなお子さんのためにも、なんとしても
日本に帰りたかっただろうに、命がけで
自分たちを守ってくれた新藤氏の勇気に、
Mさんたちは再び声を上げて泣いたそうです。

そして、終戦。

最後までMさんたちの面倒を見てくれた
日本軍の士官は

「私たちと一緒にいると、イギリス軍に
 捕まってしまうから、身分を隠して
 故郷に帰りなさい」

といって、わずかながらお金や食料、
衣服などを分け与えてくれたそうです。

そして、
「インド独立の約束を果たせなくてすまない」
と涙を流して頭を下げたそうです。

981: もっふるさん 2005/07/22(金) 20:13:41 ID:T8+liFc/
戦争の後、故郷に帰ったMさんたちは
協力し合い、新藤氏の最後の言葉
「ガンバレ!」
を合い言葉に、インドの独立と発展のために
必タヒで働いたそうです。

そして、Mさんは軍人として大成し、仲間たちも
お互いに力を合わせて、政治家や実業家、
学者として同様に成功を修めたそうです。

勇敢で、高潔で、誰からも好かれた日本人。

そんな日本人は今どこかにいるのだろうか。
そして、今の私は(同時に、私たち日本人は)、
Mさんや、その意志を受け継いだSさんたちの
好意と敬意に応えられるだけの存在なんだろうか。

そんなことばかり考えてしまいました。

でも、ほんの60年前。

私の両親や祖父母の時代に、この国には
確かにそんな立派な人間がいたという事実は、
私にとって小さな誇りと、負けないように
自分も頑張らないと、という
目標を与えてくれたような気がします。

最後に。

今回の話は、もともとが古い時代の聞き語り。

話した本人も、聞き覚えた人々も幼い頃の
記憶に頼っていますし、歴史や軍事に詳しい
訳でもありません。

また、この話をまとめた私自身も
第二次大戦に関する知識に乏しいので、
戦史に詳しい方から見れば首をかしげる
ような部分もあるかも知れません。

その点をご理解頂ければ幸いです。

982: もっふるさん 2005/07/22(金) 20:14:32 ID:T8+liFc/
そうそう、この話にはちょっと
オカルチック(?)な余談があります。

新藤氏がタヒんでMさんたちが山中を
さまよっている時のこと。

疲労で見張りを立てる余裕もなく
眠ってしまった5人全員の夢の中、
新藤氏が出てきて
「敵襲!」
と叫んだそうです。

そして、はっとして目覚め、跳ね起きて
藪の中に身を潜めたMさんたちの
すぐ近くを、イギリス兵の偵察部隊が
通り過ぎていったそうです。

その後も何度か、Mさんたちの夢に
新藤氏が現れて、敵が近くにいることを
教えてくれたそうです。

Mさんたちは、タヒんで霊になった新藤氏が
自分たちを守ってくれていると信じ、
夢の警告に従って、ひとりのタヒ者を
出すことなく生き延びることが
できたのだそうです。

しかも、戦後の独立運動の間も、
その後の軍務の中でも、新藤氏は何度も
Mさんたちの夢に現れ、様々な危険を
教えてくれたそうです。

…霊のお告げ、ってのは
「Mさんたちの、疲労状態でも極限まで
 緊張しきった神経が、敵兵の近づくのに
 気づき、無意識のうちに便りにしていた
 新藤氏の姿を借りて警告を発した」

合理的に考えることも出来ますが、
やっぱり、これだけは、タヒ者の魂が
最後まで守っていてくれた、という
説明の方がしっくりするような気がします。

さて、以上、インド人の知り合いから
聞いた、昔々の英雄譚でございました。

―――――――――――――――――――
某板からのコピペ

983: もっふるさん 2005/07/22(金) 20:26:33 ID:HUg+WMDD
こういう話には弱い…

984: もっふるさん 2005/07/22(金) 20:36:35 ID:ejFRcKCX
俺はこういう話に強いんだ。
きたえてあるからな!


,,( ・-・)'' ナカナイヨ

986: もっふるさん 2005/07/22(金) 21:35:43 ID:ti27p1Cv
なんかタイミング悪かった……

最初に読んだ時涙が止まらなくて
大変だった。


引用元
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1119630769/


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